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校長先生から

校長先生から

  • 「子どもたちから教えてもらう」
    ~【専修学校#知る専】コラム より~

    校長 髙橋正敏

    公認心理師(国家資格)
    修士(臨床心理学)

  •  私たちが前提として常に忘れてはならないことは、子どもたちのことを何も知らないということです。

     ここで言う「私たち」とは特に、子どもたちと関わり、少なからず影響を与える存在である、保護者の立場の方や、教職員等が当てはまると思います。常に子どもたちの身近にいて、影響を与える可能性があったり、指導する立場であったりするからこそ、なおさら子どもたちのことを「知っている」と過信するのはとても危険で無責任なことだと私は思います。

     私が毎日接している本校の生徒たちは、当たり前のことですが、思春期・青年期の真っただ中を生きています。私たちも人間なので、当然思春期も青年期も経験して今があります。ですから、思春期・青年期特有の、不完全であるが故の危うさだったり、肌の上に神経が露出しているかのような敏感さだったり、また、人の目が気になって仕方なかったり、訳もなく不安であったり、反射的に反抗的になったり、などなどの不安定感をある程度理解できる立場にあります。どうしてそんなに不安定なのか。私たちはそれを乗り越えてきたので、その理由を説明されるとちゃんと腑に落ちます。第二次性徴が始まり身体的な変化が起こります。それは人によって始まる時期も変化の進度も度合いも微妙に異なり、今までの自分との違いや、他者との微妙な違いが恥ずかしくて仕方なく感じてしまうのです。そしてその時点では、それが当たり前のこと、違いは人それぞれ、他人を見て優越感や劣等感を感じてもどうにもならないこと、そんなものなんだ、とすぐに思えるはずがないのです。何故ならそう思えるに至るほどの経験が十分になく、未熟であるからです。未熟であるから、そう思えずに不安になり、落ち着かない、どうしていいのかわからない、といった状態になります。

     思春期・青年期の悩みとして、昔も今も変わらず挙げられるのが「人間関係」です。前述したように、この時期を生きる人たちは皆自分と他者との「違い」を強烈に意識してしまい、その違いを受け入れる耐性も出来ておらず、他者であるということだけで少しでも自分との違いを感じてしまうが故に、異質である他者との良好な人間関係の構築が困難な状況にあるのです。ですから、違いを受け入れることができないために、受け入れることができる、安心できる範囲である違いの少ない「似た者同士」のグループが自然と形成されていきます。それが人間関係構築の始まりとなります。しかし、その安心できるグループの中で「違い」や「異質」を感じてしまったらどうでしょう。「信じられない」とか「裏切られた」と思ってしまうことも少なくないと思います。もしくは、安心できるグループの一員で居続けるために、無理にその「違い」や「異質」に自分を合わせてしまう事も少なくはないと思います。どちらにせよ、「人間関係」は難しく、悩みの種になるものなのです。ただし、これらのような悩みを数多く経験していくことが、悩みそのものを克服していく糧となり、スキルとなっていくことは言うまでもありません。

     これらは、昔も今も共通して言えることかと思いますが、状況や環境に関しては、昔と今は少し異なっているように思います。異なっていると思われる部分は、人と接する機会の頻度です。少子化が進んでいることから、同年代の子どもの絶対数が減り、子ども会や育成会といった集まりも、うまく機能していない所が多くなってきていると思います。また、都市部を中心に地域内での大人同士の交流も薄れ、それに伴い、家族以外の大人と接する機会も減少傾向にあると思われます。そしてその中において、限られた相手とのコミュニケーションも、対面ではなく、スマホやパソコンを利用したオンラインでの場面が確実に増加してきています。人と直に接することをしなくともコミュニケーションがとれるのはとても便利なようでも、それだけでは、良好な人間関係を築いていくスキルを身につけていくのは困難かと思われます。良好な人間関係を築くのに大切なスキルというのは、相手の気持ちを読み取ったり、汲み取ったりすることです。そのためには、オンラインでのやり取りだけではわからない、つまり言葉(文字)だけではわからない、声の大きさや速さ、表情や視線、しぐさなど多くの情報を伝え合うことができる、人と直に接することでしかできないコミュニケーションを何度も繰り返し練習する必要があるのです。メッセージアプリでグループから外される、既読無視やブロックされる、というのもお互いに、相手の気持ちを読み取ったり、汲み取ったりするスキルが十分ではないところに理由があるのではないかと思います。

     「人間関係」がうまくいかない。集団の中でうまく立ち振る舞えない。だから学校には足が向かない。そして規則正しい生活が送れない。そのためにゲームや動画に没頭してしまう。などといった声を聴くことが多くなってきたように思います。ならば、無理しなくてもそのままでいい、人と関わらくてもいい、好きなことだけやればいい、学校にだって行かなくてもいい方法はいくらでもありますよ。といった情報も目にする機会が増えてきたように思います。でも、「人間関係」に本当に悩んでいるのだったら、「人間関係」なんてどうでもいいなんてこれっぽっちも思っていないはずです。「学校に足が向かない」と本当に悩んでいるのだったら、「学校に行かない方がいい」と本心では思ってはいないと思います。良好な人間関係を築きたい、出来ることなら学校に行きたい、と思っている子どもたちのために、本校は門戸を開いています。そして本校の教職員は、そんな子どもたちのことを何も知らないことを知っています。知らないから知ろうとする、知るためにはそんな子どもたちから教えてもらうしかありません。

  •  私たちは思春期・青年期がいかなるものかは知っています。あの頃、自分と同じ人間なんて一人もいないと感じたように、子どもたち一人ひとりも、自分と同じなんてあり得ないことを知っています。異なること、違うことをはじめから理解することは絶対に無理です。ですから私たちは、一人ひとりの子どもたちから教えてもらうしかないのです。教えてもらうからには、私たちはそんな子どもたちをリスペクトするところから始めます。そうやって前向きな受け身の姿勢で子どもたちへの関わりを始めることで、子どもたちの人に対する前向きな姿勢を引き出していきたいと考えています。